BLOG

Posted on 2017-03-31
「週刊東洋経済」に取材記事が掲載


3月27日発売の「週刊東洋経済」でアニメに関する取材を受けました。
「教養としてのアニメ あなたが見るべき2000年代の20本」というテーマです。

記事は私の他2人の方にも取材した上でのものなので、最終的に選ばれたアニメ20本は、私が単独で選んだわけではなく、私を含めた3人の意見を編集部のほうでまとめたかたちになっています。ですので、選ばれた作品の中には、私は選んでいないものもありますし、省略された作品もあります。
今回の取材にあたり、作成し編集部に提出したメモがありますので、それを元にして、私が考える「2000年以降の傑作アニメ」をここで改めて紹介したいと思います。

傑作アニメを選ぶについて何か指針が必要だと思い、経済誌という性格も考えて「ビジネスマンにも見てほしい2000年以降の傑作アニメ」というかたちにしました。記事では「見るべき」という強いタイトルになっていますが、個人的にはあまり「べき」といった高圧的にも聞こえる言い回しは使いたくなかったので、「見てほしい」という言い方になっています。
選んだアニメは、あくまで私の個人的な意見であり、主観によるところが多いのですが、なるべく現時点でのビジネスマン、それもアニメにはあまり馴染みの無い人が、アニメを見直すきっかけになりそうなファクターを持った作品を選んでみました。

「ビジネスマンにも見てほしい2000年以降の傑作アニメ」

①「カードキャプターさくら」(1998〜2000、2018)
「さくら」は1998年からの放送なので、2000年代には入らないのですが、来年新作が放送されることもあることと、どうしても入れたい理由がありました。それは、今年の新社会人くらいの若者たちが幼少期に熱狂したアニメだからです。ある意味、彼らのアニメ原体験のひとつとなっている作品です。「さくら」を見ることで、新社会人たちの嗜好のベースを理解する一助となればと思います。
「さくら」は「魔法少女」や「戦闘美少女」等のいいとこ取りとも言える作品です。パワーと美の象徴としての変身コスチューム、世界を救済するという大テーマ、秘密を共有できる動物的マスコットキャラ、学園・家庭・異世界という3つの環境の丹念な描写など、ポイントを押さえた魅力溢れる要素が様々に詰まっています。来年の新作が期待されます。(記事では「さくら」はリストには記載されていません)

②「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」(2002〜03)
「プリキュア」の礎を作ったと言われる「どれみ」。なぜか記事の作品リストでは省略されていますね。
「どれみ」は複数期が作られましたが、「ドッカ〜ン!」では細田守が演出した回があります。第40話の「どれみと魔女をやめた魔女」です。原田知世が出演し、先輩として魔女の悲哀を伝えます。「三叉路」等、細田的描写も登場します。ガラス玉を透視するシーンは、細田が敬愛する映像作家・佐々木昭一郎へのオマージュでしょう。細田作品を理解する上で、ぜひとも見ておきたい一篇です。
「どれみ」は、複雑な家庭事情や進路の悩みなど、現実の子ども達の環境と生々しくリンクした内容を取り上げたことも特徴のひとつです。単なるおとぎ話的キャラではなく、内面を持った生身を感じさせる描写が魔法少女ものでも徐々に要求されるようになったのです。

③「ほしのこえ」(2002)
ごぞんじ新海誠の初の劇場公開作品です。現在の「君の名は。」のヒットを受けて、やはり彼の原点を知っておくことが大事ではないかと思います。この作品を語る上で「セカイ系」という言葉がよく用いられます。厳密な言葉の定義はひとまず措くとして、端的に言えば「きみと僕の関係がこの世界を救う」という物語です。きみと僕との関係がダイレクトに世界救済に繋がるという世界観は、セカイ系という言葉が生まれる以前から存在していましたが、やはりゼロ年代以降、アニメの爛熟とともに一気に開花した感があります。
「君の名は。」で新海ワールドが変わったとする向きもありますが、空間的に離れ、時差も生じているという二人の関係が世界を救うという点においては、新海スピリットはいまなお不変のようです。

④「四畳半神話大系」(2010)
「ループする世界」というSF的想像力は、近年、アニメ・漫画・ゲームの世界で頻繁に活用されています。最近流行りの異世界系では「転生」し、世界がループします。ループと言ってもそっくりそのまま繰り返されるわけではなく、キャラの成長が反映されたかたちで世界が改変されていきます。これはゲーム的世界観とも関係が深く、倒されてセーブポイントに戻り、経験値を積んだ状況で再び同じ道を進むといった状況に似ています。
「四畳半」では空回り的ループが繰り返され、そこでは主人公の目立った成長は見られません。打開するヒントは与えられるのですが、決断力に欠けるため、幸せなど永遠に訪れないような悶々とした日々が続きます。こうしたコミュ障的キャラは、「浮雲」等、明治以降脈々と続く日本近代文学の王道的陰キャラなので、親近感があり共感が持てます。原作は森見登美彦ですが、森見作品はある意味、文学の伝統に則った王道テーマを一貫して追求しているともいえます。
監督が湯浅政明、テーマ曲がアジカンということで、かなりサブカル性の高いスタイリッシュな作品になっていて、いわゆる萌え的なものとはテイストが違うのも重要な要素です。サブカルとオタクというのは、一見同類に思われがちですが、実は両者には深い溝が古来から存在しています。最近ではオシャレ的なものは「意識高い系」として分類され、時に「痛い」ものとして敬遠されます。オタクへの悪口が「キモイ」ならば、サブカルへの悪口は「痛い」です。この両者の絶え間ない抗争の中で、サブカル的アニメは独特の位置を占めていましたが、この「四畳半」は、オタクにも受け入れられる余地を持つものとして登場しました。理由は様々ありますが、2010年代に入って、オタク嗜好がかなり一般的な層まで浸透してきたことも大きな理由のひとつでしょう。同時期に登場する「化物語」を始めとした西尾維新アニメもサブカル的要素を含んだものですが、森見作品と西尾作品はサブカルとオタクの両要素を含むものとして改めて論じる必要があると思います。

⑤「魔法少女まどか☆マギカ」(2011、12、13)
魔法少女の総決算的作品としてあまりにも有名ですが、「まどマギ」は単なる魔法少女ものの枠を超えたものとして語られるべきでしょう。95年の「エヴァンゲリオン」の登場以来、「エヴァ」的アニメは量産し続けられました。それはある種の呪縛となって、アニメの物語世界を席巻しました。しかし「まどマギ」において、それは覆されたのです。エヴァ的な世界では、キャラ達は世界のシステムの中で生きるために葛藤します。システムの中で生きることを運命として受け入れ、反発しながらも最終的にはシステムに順応することでサバイバルするのです。しかし「まどマギ」の主人公まどかは違います。世界のシステムそのものを変えてしまうのです。システムを変えるという逆転の発想が込められた「まどマギ」は、まさにエヴァの呪縛を解くものとして、その後のアニメ作品に多大な影響を与えています。
キャラ達は、新房昭之監督の集大成的ともいえるゴスロリ調も含んだものですが、その関係性は百合的です。今ではBLと並んで百合もだいぶ一般化してきましたが、百合要素を前面に押し出した作品としても特筆すべきだと思います。

⑥「アイドルマスター」(2011、15)
ポストモダン的な嗜好の多様化に合わせた多数キャラが登場する「アイマス」。ファンの細分化した好みに合わせ、微細な差異のキャラ造形がなされています。キャラ達はなるべく等価に描かれるので、ポスター絵などを見ると、前列も後列もキャラの大きさがすべて同じという、遠近法を無視した画期的作画になっていることもしばしばです。
「アイマス」のゲーム版は2005年から存在しますが、ゲーム版はニコ動などネット動画文化と密接な関係があるコンテンツです。アイマスのMAD動画がニコ動で流行し、○○Pという呼称が生まれ、その直後に登場した初音ミクは、その流儀を見事に継承していきました。
また、「シンデレラガールズ」の島村卯月にまつわる物語など、生身のアイドルとなんら変わらない苦悩を描き、現実との距離感を縮め、ファンの感情移入度を高める内容になっていることも特筆すべき点です。西欧社会には見られない、日本独特のアイドル文化を海外の人々に理解してもらうための助けにもなる作品と言えるでしょう。

⑦「ガールズ&パンツァー」(2012、15)
萌えキャラ+ミリタリーという形態を取り、戦闘美少女の進化形のひとつを示した作品です。単なる萌えアニメではなく、「戦車道」という道を究めて競技に勝ち抜くという、王道的スポ根ものです。戦車で戦うわけですが、弾が戦車に当たっても誰も死なない「平和な戦争」が繰り広げられます。最近のアニメでは決定的なシリアス展開はあまり受け入れられないので、最後まで犠牲者が出ないことは良かったと思います。このへんは「艦これ」の如月ショックと比較してみると明確になります。
「ガルパン」は聖地巡礼でも話題になりましたが、近年、アニメの背景の精密度が上がったことで、リアルな場所と虚構の融合がさらに進んでいます。アニメに馴染みが無い人には、聖地巡礼と言ってもピンと来ないかもしれませんが、絵で描かれていた風景を現実の場所として把握しなおすことは、実写ドラマのロケ地を巡ることとは全く違う高度な知覚的体験なのです。

⑧「のんのんびより」(2013、15)
田舎で暮らす、ゆるふわな少女たちの日常を描いています。ある意味「日常系」の基本を押さえた作品です(学校が舞台、ほんわかギャグ、不意打ちの感動ネタ、男子がほとんど出てこない等)。今どきの「日常系」を知る上で最適なもののひとつだと思います。
「にゃんぱすー」の挨拶で人気のある最年少キャラ「れんげ」は、ほとんど無表情です。知能は抜群なのですが、挙動が奇妙です。たぶん普通の学校に通ったら、変な子としていじめられていたかもしれません。しかしこの世界では、様々な年齢のお姉さんたちに可愛がられ、のびのびと自然とともに暮らし、その様子を安心して見ていられることにこのアニメの良さがあります。
多様性を許容する寛容な社会を理想的に描いているのですが、それは田舎だからとするのは早計でしょう。時に排他的で保守的な面を持たざるを得ないのが田舎社会でもあるわけで、そういう意味では一種の理想のユートピアを創造していると言えます。
ユートピア性は、作品世界が永遠にループしていることで、純度を高めています。日常系アニメでは、キャラが年を取らず、永遠にループする状況を「サザエさん時空」と呼んだりします。「サザエさん」のキャラが不老であることに基づいた呼称ですが、「のんのんびより」も2期はまた1期の始まりと同じ時点に戻り、同じ季節を繰り返します。2期が「のんのんびより りぴーと」というタイトルであることが、そのループ性を明らかにしています。
「れんげ」の無表情については、拙作『深夜アニメスタディーズ』の中でも論じましたが、単に不思議キャラを印象付けるだけでなく、無表情ゆえの「かわいさ」を促進しています。リラックマやキティなど、今どきのアイコン的人気キャラクターには無表情のものが少なくありません。それと同様な魅力が「れんげ」の無表情に込められているのだと思います。

⑨「SHIROBAKO」(2014)
アニメの制作現場を舞台にした、いわゆる「お仕事もの」アニメです。やりがい搾取的なブラックな環境、中身より話題優先の現実など、制作現場につきものの葛藤要素が様々に登場します。こうした「お仕事もの」はビジネスマン的観点から見ると、ある種のマネジメント教材としても有効です。最近はラノベや漫画の世界でも「お仕事もの」はたいへん人気ですが、やはりただ見るだけではなく、何かを得たい知りたいというニーズが高まっているようです。
またこの作品では、現実の人物を想起させるように設定されたキャラも多数登場しました。視聴者の間で「あのキャラは○○さんだ」といった会話がネットで飛び交い、コミュニケーション消費的な面も強調された作品だったと思います。今やアニメの成否を握る鍵は、ファンによるコミュニケーション消費の度合いにあると言っても過言ではないので、こうした状況を理解する上でも有効な作品だと思われます。

⑩「響け!ユーフォニアム」(2015、16)
高校吹奏楽部のスポ根的努力と部員同士のドロドロな人間関係を描いたことで話題になりました。これもまた「ガルパン」同様、スポーツではないですが、「努力、友情、勝利」の三拍子が揃った王道スポ根的作品です。ステレオタイプな主役・脇役の関係性を使わず、今どきの複雑な人間関係をクリティカルに描いていて、ある意味、スポ根ものに革命をもたらしています。
「ユーフォ」のテーマのひとつは、「特別」な才能を持った孤高の者を目指すか、「平凡」だけど平和な者を目指すかという葛藤にあります。同調圧力という目に見えない嵐が吹き荒れる部活の現場で「特別」を目指すことは並々ならぬ精神力が必要です。それにどう対処するかを問うた第1期は百合的描写もあいまって、多くの人々に深い感銘を残しました。第2期では部活メンバー達の抱える様々なリアルな現実を丹念に取り上げ、集団競技として部全体が「特別」になる困難さを描いていたと思います。
この作品が京都アニメーションによって制作されたことは、ある種の必然と言ってもいいかもしれません。京アニは常に新しい挑戦を続けてきました。「ハルヒ」「けいおん!」のビッグヒットは言うまでもなく、木下恵介的ホームドラマの復権を目指したともいえる「たまこまーけっと」、数話で切られることも珍しくない現在において、全話すべて視聴しないと理解が難しいミステリーものに挑戦した「氷菓」など、果敢な挑戦を続けてきた京アニですが、革命的スポ根の内容と楽器演奏という超絶難しい作画に挑戦した本作も、その挑戦の歴史に足跡を残すものとなりました。

番外 「KING OF PRISM by PrettyRhythm」(2016)
この作品は、DVDで視聴するよりもやはり劇場に足を運んで鑑賞することで、その真価を理解できると思うので、あえて番外としました。(番外としたためでしょうか、これも記事のリストには掲載されませんでした)
「KING OF PRISM by PrettyRhythm」、通称「キンプリ」は、劇場での応援上映が話題となりました。観客全員が一体となってキャラへ声援を送ることで 一体感を体験でき、物語の感情移入度も深くなります。これはまさに画期的な鑑賞方法だったと思います。 70年代のアイドル映画の上映でも自然発生的に声援は生じていたとされることから、従来のアイドルコンサートでの声援の進化形とも言えます。アニメというと昔は、個人の部屋で一人で視聴するイメージがありましたが、ニコ動の出現で疑似集団視聴へと変わり、さらに応援上映によって、リアルな集団視聴が実現されました。こうした動きが今後どのような展開を見せるかはまだ未知数ですが、アニメの視聴方法に新たな可能性をもたらしたエポックメイキングな作品だと言えるでしょう。

以上、番外も含めて11作を、今回の取材用として取り上げました。
ご参考になれば幸いです。


Tags:
Posted in BLOG | Comments Closed

Related Posts